5月21日、スハルト大統領が国民の前で辞任を表明した。これで全てが終わった。その時には私はシンガポールのディーリング
ルームに避難をしていた。これで32年間の幕が下りた。
その後、ハビビ副大統領が憲法に準じて正式に大統領となった。為替
市場ではこれに嫌気をし、一時17、000まで暴落した。いかにハビビ新大統領の人気がインドネシア国内、海外でも無い象徴的
な 「御祝儀相場」であった。
32年間にわたってインドネシアの支配してきたスハルトにとっては、危機はあまりにも突然訪れた。暴動の引き金となったのは、警察が学生デモに対して発砲し、6人もの犠牲者が出た事からだった。
5月12日
国会議事堂へデモ行進をしようとした5000人あまりの学生が機動隊と押し問答の末、校門に押し戻されたときに起きた。デモ隊に紛れ込んでいたと思われる軍の情報部員が学生を弱虫と嘲り、学生達はこの情報部員(と思われる)を殴打した。警察がこれに応戦したため、この様な流血事件に発展していった。内規で決まっているゴム弾の代わりに、実弾が使われたのだ。しかも校門の前にある高架道路の上から、キャンパス内にいる学生を狙い撃ちした。狙撃された学生は、頭とか首を狙い撃ちされており、明らかに殺す事を前提に撃っている。実際殺された学生の死体を見た者から私が聞いた話だ。「殺された学生の父親と親
しかった。
その人は学生の葬儀に行き、学生を自分の眼で確認した。身体の前方から弾丸が入り、身体を完全に貫通していた。しかも後ろ
(背中)は直径20cm以上もの大きな穴があった」。私の思った事は、これはどう考えても軍のスナイパー(狙撃手)によって殺された事だ。警察が撃ったとしても、彼らは通常ピストルした無く、近距離から撃ったとしても学生はキャンパス内にいた。高架道路か
ら撃
ったと言われているので、明らかにスコープ付きのライフルである。それにこの様な大きな穴が出来るのは相当威力のある銃によるものだ。硝煙反応はどの様に分析されたかは不明だが、身体にそれほど反応が出ていないのならば、これも遠距離からの射撃に間違いない。近距離であれば、弾が未だ熱く、硝煙反応も相当出るからだ。
大学では翌日追悼集会が開かれ、大学側はその日のデモ行進を自粛する様に伝えた。学生達は一応教育を受けられる未だ「裕福な」部類に入り、政府への抗議運動をあくまでも静かに行う事を主義としていた。しかし、大学も外に集まったのは、スラム街の貧困層、失業者やゴロツキ連中だった。昨年から既に市内の物価水準は2倍、3倍と高騰し、華人系は財力にものを言わせて生活必需品を買い溜めした。お金の無い者は、仕方が無いので飢えに耐えるしかなかった。
今回の暴動が起きる前から、ディーリングルーム内部では、学生が一人でも殺されたらきっと大変な事になるであろうと話をして
いたことを思い出した。この経済危機は、金持ちも生活必
需品を買えなくなる水準では無く、「取り敢えず買える」と言うレベルであったたので、相場も非常に神経質な展開になるし、金持ち対貧乏人の戦いになるであろうと個人的には思っていた。この「不公平」が前回1964年の経済危機と今回の経済危機を大きく分ける重要な点であると考えていた。
学生が殺された事は、市民の怒りを買うと共に、格好の「略奪しても良い」状態を作る材料だった。これは非常に由々しき状態である事になるのは既に予期出来た事だ。
5月14日
怒れる住民は数千人の暴徒と化し、まずガソリン・スタンド、商店街を襲った。会社は23階にあるので、火の手が上がるのが窓の外に良く見えた。全員緊張が走った。既に6個所、まだまだ増える。トリサクティー大学のとなりのガソリンスタンドが焼かれたとい
う情報、次いでに車が全焼中、ラジオからは暴徒の動きと町中の被害情報が次々と入ってくる。華人の住むグロドック地域もとうとう襲われた。窓の外にもそれがはっきりと写っている。デジタルカメラでその時の写真を撮った。これは歴史的な瞬間になるかも知れないと...。
暴徒は留まるところを知らず、電気街でも有名であるグロドック地区の建物に放火、ありとあらゆる電気製品を略奪した。大きなショッピングモール、ホテルも全て焼き尽くされ、品物は一切無くなった。それも老若男女、貧困層である者はこれに参加した。今度は、スハルト家族と関係のある企業、銀行などが破壊された。
暴徒が勢いを増すにつれて、警察の手におえなくなった。治安維持のため軍隊が投入された。それでも治安が仲々収まらなかったのは、これには裏があると人々は言う。私もそう思う。会社の窓から見ていても、どこにも警察、消防車が見当たらない。「変だな」と思った事が何度もあった。「確かにあの地域はいつも渋滞するので、グロドック迄辿り着けないのかな」、と心配事をしたり。確かに、数時間経過しても全然消防車が現れない。これは何かおかしいと直感的に思ったが、自分で出来る事は何も無い。とにかくここに居ては危ない、火の手が通り隔てての銀行支店で上がっている。BCAの支店だと言う。これはスハルトと最も関係の深い華人実業家のリエム・シウ・リオンとスハルトの3人の子供が経営する銀行だ。感心する事でも無いが、実に良く黒い煙が出ている。あの煙はガソリンなどによるもので、木材とかが燃えた色ではない。あの黒煙は、有機化学燃料である事には間違いなかった。
「ガソリンが放たれのか..」、そう思った。さっき、ガソリン・スタンドが襲撃されたのも、ひょっとしてこの様に一気に燃やすために盗んだのか。
会社に怪ファックスが入った。手書きで、インドネシア語だった。「この借金取り野郎、今度はおまえの番だ。覚悟しろ」。それどころでは無い、とにかく周辺の地域を確認する必要があった。
リアムの住宅も当然襲撃に遭い、家屋全焼、高級自動車は破壊及び焼失。大部分の富はすべて海外に移管されているため、当然インドネシア国内には無い。彼にとって見れば、インドネシアの家屋は特に大した事内。意味の無い襲撃であると私は思ったが、主にイスラム系とジャワ人から成る暴徒はこれで気分が多少晴れたのではないか。
外交官、大使館も含む多くの外国人、華人が身の危険を感じて海外に脱出した。ある華人は言う。この様に大使館も逃げたら、我々は一体どこに身を匿うのか。これでは、市内に残った海外脱出も出来ない華人はみな殺しにされるのを待つのか。まさにそうである。
自分で見た限り、警察はどこにも見当たらないし、略奪行為も暴徒のなすがままだった。軍隊が出動したが、これは金持ち華人によって買収された。1家族100ドルを払い、何十世帯もの華人住宅街は相当な資金を軍部に払い、住宅街を守らせたからだ。放火、強姦が繰り広げられている地域を軍隊のトラックが素通りをする。見て見ぬふりだ。全員高級住宅街に向かう。グロドック地区にある華人が経営する総合娯楽ビル(カラオケ、ディスコなど)は1日に5千万ルピアを軍隊に払って守らせたので無傷だ。あとで自分で行って見たが、不思議な光景だった。辺りは襲撃されて無残だったが、そこは大丈夫だった。華人は全員金持ちと見られているが、実はそれはほんの一握りの家族であるのではないか。
インドネシア中央銀行は午後からの決済業務を全て中止にした。これでは銀行間決済が全く出来ない。確かに「DRPプラン」と称するもの(Disaster
Recovery Plan)は社内にあったが、どれも本当に実施した事が無かった。机上でしか無い。私はすぐ資金・為替取引明細表と電卓、緊急連絡網だけを鞄に押し込んだ。本当の緊急時には、銀行は金繰りだけすれば良い。欲を言えば、性能の良い携帯電話(電池が数日持つもの)、携帯コンピューター(電池は当然数日対応)で決済関連はリモート操作出来る。コンピューターはこの際にはちょっと荷物だ。乱暴に扱えばすぐ壊れる精密機械なので、こう言う時にはそぐわない。これで全員インドネシアから脱出したらこの銀行(又はインドネシアの全金融機関)、インドネシアの決済業務はどうなるのだろうか。世界からは決済遅延で非難され、損害金の賠償で後が面倒くさいな....その様な事が頭の中を駆け巡り、一層事態を混乱させた。特に資金為替部の人間としてはこれは当然の事だ。この部署に関連しなければ、とにかく逃げれば良い、顧客も
同じ様に逃げているからだ。インドネシア国以外の金融機関は逃げない上、暴動で決済が遅れた事については温情等は無い。勝手に暴動をしたお前の国が悪いと、こう来るのだ。至極当然である。インドネシアの暴動の結果、決済が滞ってシンガポール、マレーシア等の金融機関が金繰り倒産したら、これはインドネシアの金融機関の責任となる。
結局全員一時的にヒルトンホテルへ避難する事になった。すぐ表では銃声が何発か放たれ、群集が走っているのが見える。数百人と思える。宿泊客には緊張が走るが、実は裏ではテニスをしている宿泊客もいる。実に妙な光景だ。表道路とホテルの中とでは全然雰囲気が違う。ひるトンのホテルの駐車場にはCNNの車があった。ボディーには多数の傷が見える、多分石が当った後だ。ホテル前での銃声、市民の避難、ホテル内部ではテニス、水泳を興じるもの.....。ジャカルタは異常な雰囲気だった。
部屋は運良く予約されていたので、そのままチェックインする。私の部屋はSudirman通りに面していたので、表は良く見えた。大丈夫と思いながら、思わず自分の身を隠して窓の外を見る。流れ弾に当って死ぬにはまだ早い...全部この目で確かめたい。軍事国家の政権が変わるとき、一体どの様になるのか。誰がこれを押させるのか、政治はどう変化するのか。為替相場は一体どこまで暴落するのか、1ドル=20,000、30,000、40,000、50,000ルピアと大暴落し続けるのだろうか。この均衡点はどこにあるのか。様々な質問が頭の中を駆け巡る。自問自答の連続。
そうこうしている内に夜を迎え、何を食べたかは記憶には無い。電話がひっきりなしに鳴る。午後6時以降と記憶するが、窓の外を見た。暗いが何となく見える。スマンギの交差点がちょうど見える。あれ、軍用トラックが5、6数台こっちに向かってくるではないか、しかもかなりのハイスピードで。良く見ると、あれはトラックでは無く、戦車だった。インドネシアに来て初めて戦車と言うものを見た。どんどん近づいて来るに従い、キャタピラが見える。「ゴー」と言う音だ。戦車の上にはコマンダーが見えた。そのままスマンギ交差点を曲がり、ゆっくりとSudirmanの北部へ向かって行った。きっと中国街に行くのだろう....。
先ほど会社で用意してきた電卓を鞄から出し、取引明細表とにらめっこする。携帯電話、ホテルの電話両方がノン・ストップで使用される。東京、欧州拠点への電話で決済遅延・損害金の事、ペイメント・オーダーの代理発信等を依頼した。さあ、仕事をしないと。ここで自分が踏ん張らないとこの会社は確実に金繰り倒産するのだ。
ところで、自分の部下は無事帰路についただろうか?早く帰宅させたが、中には自宅に買えれない者もいた。自宅近辺で略奪、放火が繰り広げられていたからだ。インドネシア人でもこの様な状態だったので、渦中の華人は一体どうだったのだろうか。想像しただけでも恐かった。
President Taxi
市内では、「殆ど」のタクシー会社が町から外に行く事を禁じた。また、これは会社側の方針でもあった。個人的にも幾つかのタクシー会社に電話を掛けたが、全ての会社に断られた。危ないから空港までは行けない、市内から出る事自体出来ないと。
当然の事でもあり、特に驚かなかった。市内ではあちこちで火の手が上がっており、特に華人が住んでいるGLODOK(グロドック)地域は略奪、放火、殺人で状態はひどいと聞かされていた。空港に行くにも、この地域を抜けていく事もあるからだ。当然、この地域を通過しないで空港に行く方法もあるが、高速道路は何個所かは暴徒と化した地元住民で埋め尽くされ、車は全て止められる。ここでは
MINTA MAKAN(食べ物をくれ)とせがまれてお金を渡す事となる。そうでもしないと、たちまち車は放火され、金品を暴徒に略奪されるからだ。場合によっては命も取られかねないので、渡さないわけにはいかない。暫く車で走るとまた道路が寸断されているので、一旦料金所を出て一般車道を走らないと行けない。一般道路では暴徒が待ち構えているので
これも危ない。とにかく沢山の現金を所持しているのが肝要だった。しかし、運が悪いと「金持ち」と言う事で車丸ごと襲撃されるのでこれにも危険性が伴う。料金所では通常は係の人がいるのだが、今回は違った。
料金所には現金があるので、近くの住民はここを襲撃し、全て略奪してしまった。係の人は当然いないので、高速道路は暴徒、通常走行禁止であるバイク、自転車で賑わっていた。
上で「殆ど」と書いたのは、これには実は裏話がある。唯一空港までお客を運んでいたタクシー会社がいた事だ。「President
Taxi」と言うこのタクシー会社は地元の人でもあまり好んでは乗らない所謂柄の悪いタクシー会社だ。運転手は他のタクシー会社とは異なり、契約社員では無く、日雇いでゴロツキも中にはいるからだ。私もこれには難解も乗った経験があるが、雨の日はまず料金メーターを使わない。料金はいちいち運転手との交渉になる。普通のタクシーにも乗る事があり、大体の料金感覚があったので、特に「ぼった
くられる」事はなかったが、実に不愉快な思いをする。
この会社は暴動の最中、トランクの後ろにガソリンを入れたペットボトルを沢山持っていたと言う。運転手は市内で暴動があれば、暴徒に「あなたたちを助けたい」と言ってガソリンを販売するのだ。運転手達は放火を手助け、副業をしていたのだ。暴徒の間では、「プレジデント・タクシー」はガソリンを販売してくれる便利な「放火お助けタクシー」と呼ばれて重宝がられていた。暴徒の襲撃対象にならなかった理由はここにあった。
空港までは当然高速道路を使用する。高速上では暴徒が車を止めて金品を巻き上げている。そういう最中、プレジデント・タクシーだけが普通に空港迄無事辿り着けたのはこの「副業」のお陰でもあった。危ない局面に遭遇すれば、ペットボトルを住民に売る。幾らで売っていたかは知らない。通常5万ルピア前後で行ける空港迄の料金は、この時だけは暴騰。一般外国人からは片道500ドルを要求
していたと言う。当時のルピア換算相場を13,000とすれば、これは6.5百万ルピアに上る。客は運転手にも略奪される可能性もあり、命の保証も無い。高いか安いかはお客の判断に任されるが、ジャカルタ市内で起きていた惨状を勘案すれば、この金額に賭けてインドネシアから早く安全な隣国に脱出を図った華人系住民は多かったのではないかと思う。空港のすぐ近くにあるチェンカレンと言う地域では華人系の住宅が放火され、略奪と女性への強姦が繰り広げられていた。
スハルト大統領辞任に追い込むまでには、軍内部と国会では様々な動きが見れた。怒りの鉾先はスハルトの「同族資本主義」
に向けられた。また軍上層部が学生運動を黙認していたのも、最悪の事態である「クーデター」を避けるためにも、この様な学生圧力を向けさせた。表面的にはこれで押し通すとのことだろう。一方では、スハルト退陣に向けて軍内部、及び国会では根回しが行われていた。
ウイラント国軍司令官は穏健派幹部と知られている。プラボウオ・スビアント陸軍戦略予備軍司令官(強硬派)をいかに権力抗争から退けるかがポイントとなった。国会内部の議員をいかに早くスハルト辞任までに持っていくか、この様な工作が行われた。5月18日に、軍部は国会に影響力のある大学OBを送り込み、国会指導者達との会談を試みた。また、一般学生達も尾国会に入る事も許された。軍部と学生達は、お互いを挑発しないように行動を自粛する事を誓ったという。
更に、午後にハルモコ国会議長がスハルト大統領の退陣を求めた。ハルモコ国会議長は長年とスハルトの右腕と言われた忠臣である。これには退役軍人等も同じ表明をした。同日の夕刻、ウイラント国軍司令官は記者会見を開いた。私はついにスハルト大統領退陣のニュースが流れるのかと思った。ところが、そうでも無かった。ウイラント国軍司令官は、大統領の退陣要求は正式な憲法基準に合致しないので、憲法違反であると発表した。これにはさすが全員驚き、私はこの期に及んで多額の資金で買収でもされたのかと思った。実は別の意味が裏に隠されていた。
自分が解任され、プラボウオ・スビアント陸軍戦略予備軍司令官(スハルト大統領の娘婿)が軍司令官に抜擢されれば、更にスハルト王国が存続する可能性が出てくるため、自分は未だスハルト大統領を擁護する立場にある事をアピールして時間を稼
いだと言われている。
スハルト大統領は19日の朝、イスラム教指導者と学者達と会談を行った。本日テレビで演説する原稿についても意見交換であった。
だが、テレビ演説では辞任については全く触れず、代わりに内閣改造と国民(改革)評議会を近いうちに開く事と約束した。自らの進退については、近いうちに総選挙を実施するので、その時に辞任すると発表した。反スハルト大統領勢力の怒りは頂点に達した。学生達は既に国会議事堂に終結しており、治安部隊もここは公共の建物でもあるので、特に強制的な排除は行わなかった。
既に、軍部もスハルト大統領が近いうちに辞任する、また軍部も辞任を希望していたため、「黙認」していた方が正しい解釈であろう。
20日午後、ハルモコ国会議長を初めとする議会幹部がスハルト大統領に再度辞任を勧告したがこれに応じなかった。自分の政党で
ある与党ゴルカルは解任要求決議に加え、臨時国民協議会を招集、正式な解任手続きに入った。ハルモコは再びスハルト大統領に辞任を勧告、これに応じないならば、臨時国民評議会で正式に決定する事になると。
21日朝、スハルト大統領は辞任演説を行い、ハビビ副大統領が正式に新大統領となった。ウイラントは前回と違い、今回の政権交代は正式な憲法手続きに準じたものあり、軍部は今後もスハルト大統領及びその一族の安全を守ると付け加えた。あくまでも中立的な立場で軍人としての職務を遂行しているアピールである。スハルト大統領が後で、ウイラント国軍司令官の策略を知ったかは定かではない。
ウイラント国軍司令官は、今回のインドネシア政権交代に大きな力を貸した人物には間違いない。ここからは、スハルト大統領の支持者を蹴落とす「職務」を遂行するのだった。
もう平和? 武器商人の話
暴動が終わり、各国のテレビ中継が行われなくなり、世界にはジャカルタには平和が戻ったかの様に写る。実はそうでもない。私は華人の友人もいる事から、興味深い情報を入手した。華人系の住民はこのあいだの暴動で相当懲りたので、今度自衛の意味もあり、武器を購入している事だ。この告では、武器の所持は免許が無ければ基本的には無理だ。それが今度は、高級住宅街の中で、武器が華人系に販売されていると。いつもの悪い癖で、katanya(カターニャ=聞くところによればの意味)情報は自分である程度確認する事と決めている。ジャカルタでは本当に良くデマかせ情報が飛び交うので、ある程度確認する必要がある。
更に聞き込みをすると、どうも一丁1.5百万ルピアから2百万ルピア位で販売されているらしい。しかもこれは実弾付きだ。インドネシアの事だから当然免許も売買されている事かと思ったら、この値段には含まれない。つまり、違法所持となり。私はある華人の友人に言った。
「免許付きだから今度暴動が起きて人を殺しても、正当防衛と言えるだろう。不法所持ではないしね」。ところが、免許無しなのでこれだけ値段が安いという事だった。
驚く事に、中にはマシンガンも販売されていたと言う。これは17juta、つまり17百万ルピアである。ここまで来ると、この武器商人は警察関係ではないと思わざるを得ない。当初は、どうせ副業で警察関係の人が銃を横流しをしているのだろうと軽く考えていた。この経済状況で、生活も苦しいのだから。暴力団対策法が出て失業した団員が、生活をするのに銃を一般市民に売って歩いた事を思い出した。マシンガンと聞けば、これは軍関係である。何故?
考えたシナリオはこうである。
今回の暴動もこれは軍関係が特別に支持して起こさせたというのが専らの噂だ。スハルト大統領の早期退陣を望むあまり、プラボウの部隊がわざと華人系住民を襲撃、国内騒乱を引き起こした。クーデターを企てたのではないかと思う。経済が苦しくなると、いつでもどこでも華人系住民がスケープゴートにされるのでこれは都合の良い事。責任はスハルト大統領に被せる。苦し紛れに、スハルト大統領は娘婿に助けを請う。その代わりにプラボウオは国軍司令官に昇格させてもらう。軍部の力で暴動を玉砕する。この様な図式が頭の中にあったのでなかろうか。これはウイラントによって封じ込められたので、結局は自分は更迭されてこの話は実現しなかった。
銃の売人は、華人に売って今度暴動起きた時は前回以上に大きな犠牲者がでると予想する事は簡単だ。そこで、今度は反ハビビ勢力が華人を挑発しているのではなかろうかと。売人は売り上げと共に、反ハビビ運動にも貢献している。これにウイラント国軍司令官が虎視耽々と計画を狙っているとしたら、これはまた凄い裏ネタではなかろうか。但し、現在のウイラントを見る限り、この様な卑怯な手段を使用して軍事政権を維持する、又は自ら次回大統領になろうと言う政治色、野心は感じられない。彼は根っからの軍人気質であり、一国の主までのし上がろうと言う姿勢が感じられないのだ。
だとしたら、これは前スハルト大統領の娘婿が、カムバックを狙った策略か。何とも言えないが、これは小生の「思い付き」であるので、真剣に考えないでもらいたい。更にある情報をつかんだ。この武器にはカタログがあり、まるでカタログショッピングの様に何でも買える事だ。支払いはさすがアメックスとかビザカードではないが(と思う)、この武器はドイツから直輸入と言うからまた驚きだ。また、何でドイツなんだ?
確かハビビ大統領はドイツと仲良かったな..。しかも軍関係の会社にもいたな..。何とも言えないもやもや気分だ。しかも私の知り合いの女性も銃を持っていると言う。今度市内で暴動が起きたらイスラム系対華人の対決になるであろう。
その前に、この「カタログ」を是非とも入手して、一体どの様なものがあるのか確認してみたい
(出来れば写真付きで)。バズーカも出てきたらこれはインドネシアの終わり?
不謹慎ではあるが、もし購入するならば「無反動バズーカ」をお勧めしたい。
室内で暴徒に対して撃ったら、後ろの壁も自分も吹っ飛ぶであろう。米国製のStinger
Missile は国外脱出する大統領の飛行機に対して使用される??