OFF THE RECORD-4
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          ある住宅街で起きた惨状

7月26日、ある華人から以下の様な話を聞いた。これは数時間にも及ぶ雑談の中から可能な限り忠実に抽出、再現したものである。この間の5月14日、15日の暴動で本当に起きた事、R氏が家族と空港迄に行く時の事、話題は多岐に及んだ。私はロイター、新聞等から様々な情報を毎日収集しており、今回の件についてはある程度知っていたと思っていたが、実はもう少しで家族全員殺されそうになった人から当時の状況を聞くと、これはまた本当に凄まじい事件だった事を改めて認識せざるをえなかった。R氏は米国のロスでの生活も長く、米国の大学を出ている優秀な企業家でもあり、英語は米国人並にうまい。

5月13日、彼ら(R氏)が住んでいるチェンカレンと言う地域は日本人が良く行くパンタイ・カポックと言うゴルフ場の近くにある。それから起きようとする事を誰が想像出来たか。日に日に増す学生運動はどうも華人系の間では既に非常に懸念すべき事態であった。その日は、その住宅街の住民(男だけ)が集い、その住宅街のデベロッパーである人と話した。この住宅街は本当に大丈夫か、場合によっては1世帯毎にお金を出し合ってでも更にセキュリティー人を増やすべきでは無いか。特に個人の資産等が略奪されたら、住民側はたまったものでは無い。また、ここの住宅街の男が一晩中見張りをして自衛団を結成しても構わないと申し出た。しかし、デベロッパー側は、「特に問題無いから早く寝た方が良い」との事だった。R氏と住民は皆その言葉を信用して、自衛団を結成しなかったと言う。

ところが翌朝の10時頃、会社に行こうとしたR氏が見たものは数百人のインドネシア人の群集で、自宅前500メートルのところで既に家を破壊していた。そこの住民と思われる男が群集に囲まれ、殴る・蹴るのリンチを受けており、家財道具等が略奪されていた。これにびっくりした同氏は、恐ろしい光景のあまり、腰が抜けてしまい、自宅まで這って戻った。驚いたメイドは、何か具合でも悪いのかと尋ねる位平穏を思わせる様だったと言う。辺りは既に黒煙、破壊、殺人、略奪、レープでまさしく地獄の様な光景だった。急いで、奥さんを叩き起こし、パスポートとありったけのお金を用意する様に指示した。ガレージの中にはまだ新車のメルセデス・ベンツがあったが、そんな事よりも自分の身の安全が先だった。別の車で飛行場へ行く事にした。既に華人系の若い男は脱出ルートの確認をしに、オートバイに乗って住宅街近辺の交通事情を見てまわった。あの道ならまだ群集はいない、空港まで行けそうだ。確認した後、住民に連絡するのだ。R氏は急いで自分で雇っている警備員と奥さんを載せて車に飛び乗った。手には小さな鞄だけ持っていた。

無事高速道路迄行けると思ったら、既に群集が入り口にもいた。ここからは入れないので、別の入り口から入り、逆走する事に決めた。当然対向車が走っている。ハイビームにハザードランプを付けて、猛スピードで駆け抜けた。中央分離帯は石で出来ており、高さも40cm〜50cm位あるので、反対車線には中々行けない。やっと、中央分離帯が切れた。「ここだ!」、急ハンドルを切って反対車線に戻った。これで空港迄行けると思ったが、そう簡単ではない。次に待ち構えていたのは、高速道路に上を走る高架車道だ。ここには、数千人とも思われる群集がおり、大きな石を上から車道に投げつけていた。うまくこれを避けながら無事通過出来た。辺りは既に黒煙があちこちで上がっており、暴徒が数千人にも膨れ上がっている様子が伺えた。

次に待っていたのは、高速の路上での貧困住民が占拠をしていた。ある車は止められ、華人系の男性は暴徒に頭を何回も壁に叩き付けられていた。女性はそのまま強姦された。助ける暇は無い、自分も危ない身分だからだ。このままでは群集に止められてしまう。自分も、家内もあの様になるのか。頭の中はただ「殺される」、これしかなかった。とてもまともな思考能力はない。その時に、同乗していた警備員が叫んだ。「トアン(ご主人)、窓を開けろ」。何を言っているのか最初は分からなかったと言う。一体何をするのか.....。とにかく言うがまま、窓を開けた。すると、なんと警備員が身を半分乗り出して、拳銃を腰のホルスターから抜いた。「トアン、全開で走り抜けるのだ!」、その後に拳銃が何回も火を吹いた。数百メートル、百メートル、車は猛スピードで群集に近づいていく。人間が撃たれた時、映画の様に倒れるのではなく、後ろ身体が吹っ飛んでいくのが良く見えたと言う。群集は、周りの黒煙で辺りの視界が悪かった事もあり、特にこの事で動揺する事も無かったそうだ。多少自動車が通れる程度の小さな隙間が出来たので、そこをめがけた走った。もう無我夢中である。更に拳銃を撃つ警備員...。

次の瞬間、群集の中に猛スピードで突っ込んでいった。車のミラーが割れた、前にいた群集を何人も跳ねた。人間が宙に舞て車の屋根の上を行く、車の下に潜ってしまう者もいた。まだ活きている。前輪の下を鈍い音がする、続いて車体の下を擦っいく音、そして最後に後部の方で悲鳴が。R氏は未だにこの男を引きずった時の音、後ろ悲鳴が忘れられず、夢にも出て来るそうだ。後部座席にいた奥さんはただただ泣き叫ぶことしか出来なかった。

気がついたら空港に到着していた。一向にスピードを緩めないトアンを、警備員が不安に思い、自分の手でアクセルに乗っている足をどかせ、ハンドブレーキをかけて車をとめたそうだ。R氏はただ呆然としていて、先ほどの「感触」がまだ身体に残っていたのだろう。警備員は車体の下を覗き込み、何も「持ってきていない」事を確認した。特に無かったと言う。

空港内部は脱出を試みる華人でごった返ししていた。携帯電話はひっきりなしに鳴る、とてもまともな思考能力なんて有る分けない。トイレで顔を洗って初めて正気に戻り、空港でシンガポール行きの飛行機を予約した。これで無事脱出できるんだ。神に命が未だあった事を感謝した。飛行機が離陸する前でも自分でバックルが付けられない位に身体は震えており、鉛筆も持てない状態だった。警備員には自宅を警備する事しか言い残さなかった。
 

シンガポールでは長年付き合っている知人の医師を尋ね、家族共に診断をしてもらった。身体には特に異常は無いが、精神的な苦痛を受けたとして、精神安定剤をもらった。ホテル側では、どこから来たのかと尋ねられ、ここに何泊宿泊するかを聞かれた。それは客の自由だと言い張ったが、どうもらちが明かない。あまりにも言うので、5泊と適当に言ったら、その場で部屋代の全額に、その上25%もの税金を上乗せした金額を前払いでクレジットカードで切らされた。部屋代の25%上乗せは結局電話代等を含んだ料金で、恐らくホテル側としてはクレジットカードの支払いが滞る前に機械にだけ通してしまいたかったのではないかと私は思う。

その晩、ホテルに電話が掛かってきた。インドネシアの自宅は全て暴徒に焼き尽くされたと言う電話だった。また悪夢が襲った。身重な家内にはこれ以上の精神的なショックを与えてはいけない。様子を見計らってあとで喋ろうと心の中にしまってしまった。これで全ての財産を失ってしまった。あとはシンガポールに持ってきた現金のみが頼りだ。電話の声は隣人の華人からだった。その家は奇跡的に燃えなかったが、59歳にもなる太ったお婆さんでも強姦され、殺された。その華人は運良く逃げる事が出来た。逃げおくれた者は、若い娘は9歳でも同じ仕打ちを受け、上の階で襲撃を恐れて隠れていた人達はそのまま焼死した。外に行って戦っては絶対人数の事もあって勝てる訳が無い。家族がなぶり殺しされるならば, このまま全員で死ぬと覚悟したらしい。その後、下の階で火が放たれた(後ろに住んでいた住人)。更に近くに住む少年とそのお婆さんは、太い鉄パイプが身体を貫通していた。先は尖っていなかったので、一体どのようにして身体に貫通ささせたかは分からない。ある死体はうつぶせに倒れていたが、何故か顔は180度回転していて上を向いていた。一体誰がこの様な惨たらしい殺しかたをするのだろうか。暴徒を「野獣」と呼んでも、それでも未だ美化しているであろう。もう言葉では表現出来ない。

約一週間弱でR氏はジャカルタに戻った。自宅がかつてあった住宅街に行ったが、殆どが残っていなかった。惨殺された後の死体は、すぐゴミ収集車がやってきて、トラックに載せていってしまったらしい。デベロッパー側は、数人だけが被害に遭ったと警察に報告したらしい。実は住民側によれば、数十人又は数百人はいたと言う。国外に出て戻ってこない華人も多くいるので、果たして逃げたのか、殺されてトラックで運ばれたかは定かではないので、正式な人数は出難い様だ。
 
この様な経験をした華人系インドネシアはもっと多いはずだ。ハビビ大統領がワシントンポストである「失言」をした。海外に脱出した華人は早く戻ってきて欲しい。戻ってこなくても、空いた職はインドネシア人が「穴埋め」をするので特に問題はないであろう、と発言した。さすがにジャカルタの英字新聞(ジャカルタ・ポスト)の一面にも掲載されたので、これに大変憤慨した華人が多かったことには間違いない。ここの国では華人は殆どの経済を握っているので、彼らなしでは殆ど経済はもとに戻らないであろう。華人が戻ってくること自体が、投資の指標であるとあるエコノミストは言う。本当だと思う。

        上記で起きた事に関連するレポートとして、ここも見てください   RIOT REPORT IN CENGKARENG AREA